【エオリアイの想い】
65年にもなる
長いようで短い人生を一生懸命に生きて来て
最近になって時々感じるのは
人と人との
気持ちや心の想いの距離感について
意外と昔からひずっている
人間としてのコミュニケーションや
人間としての心の想いの交流に
とっても難しい距離感の想いがあることをヒシヒシと感じています。
私自身の若い頃からの仕事は
一般の内科的な救急病院から
予防からリハビリまでの総合的な総合病院の医療機関として
それまでの一般病院を先進的な総合病院にリニューアルするための
特殊な仕事の合間に手書きの診療報酬請求事務や
コンピューターの医療事務も少し経験したり
診療所の医療でお年寄りと楽しく交流したり
色々な医療分野の総合病院建設のための特殊な仕事で
人間的にも医療人としても
医学・医療。看護・福祉などの勉強をさせていただいて
医療人としても患者としても
色々な福祉サービスを受ける立場になって
ひとりの普通の人間として
とっても感謝しています。
人間としての心の想いの交流や
医療や看護を提供する人間側の心の想いや
医療や看護や治療やリハビリを受ける医療サービスを受ける側の
人間的な気持ちの変化や心の想いに
かすみがかかったような心の想いや気持ちや
人間的な気持ちや心の想いのグレーゾーンみたいな
人間的な人格的な心の想いの格差が
歴然としてくすぶっていることに
個人的にいつも心の想いや気持ちがスッキリしない印象を感じています。
ひとりの人間の
心の想いや
命の想いや気分感情について
軽々しい想いで何となく【わかりました】と言うような
表面的な理解や解釈で
人間的な心の想いや肉体的な痛みやつらさや苦しさや
心の想いや気分感情を安易に分かって欲しくないのですが
それぞれの命と心の想いの個体性からは
相手の方の人間的な想いを十分に理解することは
社会的にも意外と難しい人間的な想いを感じています。
人間ならば
誰でもが自分自身の
深い心の想いや気分感情や肉体的な苦しさを
その人の現実的な想いとして素直に理解して欲しいと
誰でも想うのが自然だと個人的に感じています。
現実の毎日の暮らしの場面でも
色々な錯覚や勘違いや心の想いの不理解で
分かってもらえない心や気持ちのもどかしさを感じます。
ひたすらに素直で自然な想いで
相手の方の人間的な理解を
もっと素直に理解できるように努力したいと感じています。
今日も生きてて良かったぁ~。
安心・安全・平和的な想いで
お互いに理解して生きていきたいと想っています。